Basic Lection


  父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。
                  かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。

                                −エペソ人への手紙 6章4節−


 子供が父親に対して”怒る”時というのはどのような時でしょうか。親が自分の考えを子供に押し付けようとした時だと思います。たとえば、父親というのは子供が世の中で成功してほしいと思います。それで、そういうふうに教え導こうとします。ところが、それが子供にとってやがてプレッシャーになってゆきます。子供が望んだ道ではなく、大人が選んで、子供に実現させようと思っているわけですから、子供も敏感に感じ取ります。そして、親からのプレッシャーをはねつけようとするからです。そして、いかるのです。親が子供を通して自己実現しようとする、つまり、親が自分が小さいときできなかったことを子供を通して実現しようとした時、こどもは敏感にそれを感じ取ります。そしておこるのです。

 あるいは、子供が”怒る”のは、自分が親に不当に扱われていると感じた時です。自分はもっと、親に愛されたいのに親は自分のことを愛してくれない。愛される資格があるのに親が自分を愛してくれているという実感がない。自分が不当に扱われていると感じた時におこります。

 また、この”怒る”という言葉は、子供のやる気をなくさせるような言動も指すのではないでしょうか。具体的には、父親が言っていることとやっていることにギャップがあったり(子供にはテレビを消して早く寝るように言いながら、子供が寝るとテレビを見ているとか)、子供たちの人生に興味を持たなかったりする時に子供たちは、生きる気力が失せていきます。

 エペソ人への手紙6章4節の後半には何と書かれているでしょうか。「かえって主の教育と訓戒によって育てなさい」と言うのです。これはどういうことでしょうか。

 神様がどのようなお方であるかを教えるという時。神は聖いお方であり、罪を憎まれるお方であるということも教える必要があります。神は聖いお方であり、罪を憎まれるお方であり、人間の罪を見過ごしにできない方である。だから、たった一人の御子イエス・キリストを地上に送ってくださり、私たちの罪の身代わりとして十字架につけたのです。キリストを十字架につけることによって私たちを神の前に聖いものとして下さるためです。このことを教える必要があります。

 大切なことは神様の愛に基礎を置くことです。その時に子供に対してふさわしい方法で接することができるのではないかと思います。

 望まれて生まれたこの命は「神様からお預かりした大切な宝物」。

 この想いを忘れずに今年、誕生した命を大切に育んでいきたいと考えます。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送